【惰性】教育界における“常識”とは
今朝、夢を見た。
(誰だか知らないけど)とある先生の授業の光景。
その先生の授業は見ていて、ズバリ斬新な切り口だなぁと感じた。
言い換えれば、教育の“常識”から、大きく外れていたのである。
私は、その先生の授業を見て、大変学びになった。
(改めていうが、これは夢である)
もっともっとその先生から学びたいと思った。
斬新だから?
たしかにそうとも言えるが、その先生の手法には、きちんとした意図があった。
私が思うに、とても効率的だと思う。
もう少し具体的に言うと、授業中に発言するときの方法である。
これ以上は言わない。笑
さて、教育の“常識”と言ったが、何が常識なのか?
私が考えるに…
周りと同じことをしていれば、“常識”なのである。
他の大半の先生がやっていることが、“常識”なのである。
その“常識”が、子どもたちに「一番」力をつけさせる方法かどうかは置いておいて、
みんながやっていることであれば、“常識”なのである。
先日、とある学校の研究発表会に行ってきた。
そこで授業を参観したが、
授業の最後に先生が「はい、では日直さん、あいさつをお願いします」と言っていた。
日直「これで、5時間目の国語の学習を終わります」
全員「ありがとうございました」
どこにでも見られる“常識”である。
それで授業は終わった。
その挨拶のとき、
鉛筆をいじっていて挨拶をしていなかった子どもを2人見つけた。
しかし、そこはスルーされていた。
その子らにとっては「別に挨拶をしなくても平気」という誤学習がされたことになる。
研究発表の場でそうなのであるから、
きっと普段からもそうなのであろう。
そういう誤学習をさせるくらいなら、挨拶はしないほうがいい。
しかし、挨拶は“常識”だから…。
大切なのは、子どもが力をつけられるのかどうか。
一度、“常識”というフィルターを外して、物事を考えてみることも大切だと思う。
なんだか偉そうなことを言ってしまったが、
私なんて“常識”ばかりである。
だからこそ、学んでいきたい。