「学校に行きたくない」
子どもがこのように思うことは、そんなに少なくはないと思う。
先日、とあるアンケートを行った。
ズバリ、上記のように思ったことがある子は少なからずいたわけだ。
そして、この思いを抱く理由が肝心なのである。
「今日は、苦手な国語の発表があるから行きたくない」
「体育で苦手な鉄棒があるから行きたくない」
「昨日、友達と喧嘩したから行きたくない」
こういった理由だとしたら。
その現象が過ぎ去れば、解決できるのであろう。(大方は)
ただ、なかには慢性的に「学校に行きたくない」と思っている子がいるのかもしれない。
そういう子がいるかもしれない、という視点をなくしてはならない。
今日、ここから書く内容は、とても視野の狭い、個人的で限定的な意見である。
これが「すべて」ではない。
一教師が書く、独り言である。
「学校に行きたくない」
そう思う子のなかには、クラスに仲のよい友達がいないのかもしれない。
教室に行っても、なんとなく一人で過ごすことが多いのかもしれない。
決して、いじめにあっているわけではない。
しかし、教室が「居心地のよい空間」になっていないのかもしれない。
なんとなく、自分がいる教室を「アウェイ」と捉えているのかもしれない。
朝、教室に入って、自分の席に着く。
周りでは楽しそうな友達同士の会話が聞こえてくる。
仮に自分から声をかけたら、誰でも話を返してくれる。
しかし、自分からはなかなか話しかけにくいのだ。
結局、朝の時間を一人で過ごしている。
授業中、グループになって活動する時間。
自分の意見をいう場面では、きちんと意見を伝える。
グループのなかに、話す順番があるので、それに従うだけ。
それ以降は、必要以上に意見を言うことはない。
気軽に意見を言えるほど、心が打ち解けていないのだ。
休み時間、外に遊びに行く子がいたり、教室で友達とふざけあう子がいたり。
そんななか、席に座って一人、読書をする。
自分からは、友達の輪に入りに行くことがなかなかできないのだ。
こういう子どもは、よく「おとなしい子」とか「内気な子」なんて言われたりする。
一日のうち、大半の時間を過ごす学校の「教室」という場所が、「ホーム」ではなく「アウェイ」と感じてしまっているのだ。
果たして、そういう子が「早く明日も学校に行きたい」とか「今日はこれから学校に行くのがとても楽しみだ」と心底思うことができるだろうか。
答えは、NOであろう。
「学校というところは、行かなければならないところ」だから、行く。
そういう感覚なのかもしれない。
大人の社会でも、こういうことは十分にありえると思う。
自分の職場なのに、「アウェイ」と感じてしまうこと。
けど、そこは大人である。
「なんとなく行きたくないから、今日は行かない」では済まされない。
嫌だなぁと思いながらも、毎日職場へ足を運ぶ。
ただ、(会社によるだろうが)大人には「転勤」や「転職」といった手段がある。
それ以外にも、「呑んで嫌なことは忘れる」とか「他に新たなコミュニティーを作る」などの方法がある。
解決する手段はいくつもあるのだ。
では、子どもは?
多くの子にとって、「教室」と「家庭」が自分の居場所であろう。
その大半を過ごす「教室」がアウェイ状態なのである。
自分で解決できるのであれば、既に解決しているであろう。
それができないのだ。
そんな状態で、毎日学校に来ているだけでも、すごいと思う。
ズバリ言う。
これを変えられるのは、教師しかいない。
学校では、教師だけが、この子を救えるのである。
教師が、その子の一番の理解者になればいい。
教師が、誰よりもその子を認めて、心から愛してやればいい。
教師は、その子の絶対的な味方なのだ。
決して、他の子を敵に回すのではない。
その子だけを特別扱いするわけでもない。
ただ、その子にとって、(担任の)教師は一人である。
その教師が、その子の絶対的な味方なのだ。
教師とその子は、確実につながっている。
「学校には、特別行きたいってわけじゃないけど、先生がいるから学校に行く」
そう思ってくれればいい。
まずは、そこからではないか。
その上で、クラスの人間関係を一度ぶっ壊すことも必要だと思う。
そういう子がいて、誰一人として声をかけたり遊びに誘ったりしないこと自体、「学級」という集団生活をしていく上で、問題なのだから。
今日、こんなことを考えた。
私には、まだまだやるべきことがたくさんある。
頑張らねば。