【努力の壺】継続するということ
昨日、とある友人の投稿を読んだ。
もし
目の前の壁を1000回叩けば壊れる
と知っていたら、多くの人は頑張れるのではないだろうか。
仮に、それが一万回だったとしても。
一万回叩けば、一万回目に壊れると分かっていたら、多くの人は頑張れるだろう。
でも
目の前の壁は、100回叩けば壊れるけどそれを知らなかったら...
100回はおろか10回目で壊れる壁でも壊せないかもしれない。
人は、
自分の行いに対する返報性を感じられなければ無力感に襲われる、と思う。
たとえ、一万分の1の行いでも、それが意味のある行動だと分かっていれば納得してコツコツ頑張れる。
たとえ、10分の1の行いでも、それが徒労に終わるかもしれない行動・まったく意味がないかもしれない行動だという状況だったら、挫折しやすいものだろう。
これについて、私はとても納得した。
「継続は力なり」という言葉があるが、
この言葉の意味を実感できるのは、本当に継続した人だけである。
「努力のツボ」という話がある。
努力をすればするほど、1つのツボに水がたまっていく。
そのツボから水があふれたときが、つまりは成果が表れたとき。
しかし、ツボの中身は外からは見えない。
今、どのくらい水がたまっているのかが分からないのである。
毎日毎日、何度も何度も努力して続けてきたが、
全く成果が現れないので、そこでやめてしまう。
しかし、あと1回の取り組みで水は溢れるところまできていたのかもしれない。
私の場合は、「継続は力なり」という言葉を実感できたことが結構あるように思う。
また、「一度始めたことは、最後までやり通す」という親からの教えもあった。
子供の頃は、簡単にはやめられない状況であったのだ。
しかし、それが今となっては、自分に大きな力をもたらしてくれている。
学校の子どもたちには、こういう話をすることがある。
しかし、それだけでとにかく頑張り続けることができる子は少数だ。
子どもの場合は、ある程度の努力で1つの成果が見える形にしてあげるのがいい。
モチベーションの持続こそが大切なのかもしれない。
友人の投稿から、こんなことを考えた。
さて、本日も勤務日だ。
今週は6日勤務。
そして来週も6日勤務。
学芸会が直前に迫っている。
もう少しだけ、気を引き締めよう。