授業において、「教材」というのは、一つ重要なものとなる。
例えば…
りんごが3個とみかんが2個、合わせていくつ?
という問題。
メッシのサイン入りサッカーボールが3個とロナウドのサイン入りサッカーボールが2個、合わせていくつ?
という問題。
バレンタインに女の子からもらったチョコが3個と、男の子からもらったチョコが2個、合わせていくつ?
という問題。
いや、全部が今、思いついた適当な問題なんだけども…
これらはどれも3+2という立式となる。
けれども、問題(教材)が違う。
どの問題が、子どもに関心を持たせるだろうか。
改めて言うが、これは今、思いついた問題。
そして、こうやって単に言葉遊び(?)だけで子どもを惹きつけるのも、それは浅いのだが…
教材が一つ違うだけで、子どもの関心度が変わるということはご理解いただけたと思う。
そこで本題。
「教師」も、教材となるということ。
厳密に言えば…教師のキャラかな。
そのキャラ自体が一つの教材となる。
これまた浅い思いつきの例だが…
いつもニコニコ笑顔の教師と、
いつも無愛想な教師。
果たして、どちらの教師の授業に魅力があるだろうか?
もちろん、これだけでは判断はできない。
が、これも判断材料の一つとなりうる。
教師のキャラ。
今年度は、結構自分のキャラが固定化してきている。
もちろん、いい意味で。