【学び】あれども見えず
昨日、セミナーに参加してきた。
この夏、1発目のセミナー。
思えば、昨年の夏もいろいろと駆け巡っていたな。
今年は、より厳選。
昨日参加したのは、第8回目となるセミナーだそうだが、私が参加したのは今回が初めて。
約6時間、講師の先生のお話をたっぷりと聞いてきた。
そこで、考えさせられたこと。
それは…
『教師の見る目』である。
「あれども見えず」とはよく言われたもので…
その“現象”だけを見て、実はその“本質”を見逃していることが多くあると痛感した。
例えば、ペアトーク。
隣の人と一定時間、あるテーマに沿って話をする場合。
どのペアグループからも、活発な「声」が聞こえてくる。
全体的にも、大変盛り上がっている。
この“現象”だけを見れば、「いい活動」と言えるかもしれない。
いや、少なくとも自分はそう自覚していた。
が、そのペア一つ一つをじっくり見ると…
もしかすると一方的に「話しているだけ/聞いているだけ」ということはないだろうか。
そこには、隠れた二人の力関係があるのかもしれないし、もしかしたら話すことが苦手でずっと「聞き」に回っているのかもしれない。
はたまた、話し手が夢中になりすぎて時間が経過してしまっただけかもしれない。
いずれにせよ、そういう状況を見とれているか。
正直、なかなか難しい。
そういうところを見ずして、把握せずして自信をもって「いい活動」と言えるだろうか。
これはあくまで一例に過ぎないが、こういう「あれども見えず」なことは、日々の中でたくさんある。
以前、こんなことがあった。
あるAさん(女)が、朝、教室に入室してきたとき、とても元気がなかった。
しかし、この子は気分の上がり下がりが大きく、「今日はこういう日なんだろう」と思って、深くは追求しなかった。
ただ気にはかけていたので、声はかけた。
が、それきり。
翌日、その子が日記に書いてきた内容を読んで、はっとさせられた。
「友達関係で悩んでいる」とのことだった。
昨日の元気がなかったことにも合点がいった。
「元気がない」という現象は見えていた。
しかし、その「背景」は見えていなかった。
Aさんは、入室時に「元気のなさ」を表してくれていたから、その“現象”には気付けていたが…
これすらも見えてこない場合もあるだろう。
例えば…
「入室の挨拶は元気よく」という規律(ルール)があった場合。
うまく気持ちを切り替えて「おはようございます!!」と気持ちよく挨拶して入室してきたら、Aさんの変化には気付かないであろう。
それはそれで、その子は気持ちを切り替えられているからいい、という見方もある。
この場合は、何がいいとか悪いとかではないのだが…
少なくとも「見えていないことがある」ということを自覚する必要があるのだ。
「子どものことはなんでも知っている、わかっている」というのが、一番怖い。
教師の見る目を鍛えていくのも、今後、自分に与えられた課題だと感じた。
今回の講師の先生のお話は、普段はなかなか聞くことができない。
そういう意味では、とても刺激的であり、自分にとって新たな視点でもあった。
と同時に、今の自分の「価値観」や「教育観」とは完全一致することでもないんだなと思った。(当たり前かもしれないが)
自分なんかは、まだまだ固まっていないことの方が多い。
だからこそ、日々学び続けていかなればならないのだが…。
今の自分の置かれている環境(サークルや仲間)、そして、そこで学べていることに感謝したい。
この夏は、恩師が主催する勉強会にも参加する予定だ。
また、サークルもある。
2学期に向けて、自主的に学びを深めていこう。
そのための「環境設定」も大切に…。
今朝は興奮(?)して2時に目覚めてしまった。
もう6時間くらい経過している。
いい学びの時間だ。笑