「姿勢を正してください」
「これから3時間目の国語のお勉強を始めます」
「よろしくお願いします」
よくある(?)授業の始めのシーンである。
私も教師になって1〜2年の間は、このように挨拶をして授業を始めていた。
ちなみに、これらは子どもが発している言葉である。
主に「日直さん」が言うことが多かった。
しかし3年目くらいから、授業の挨拶をすることをやめた。
挨拶をすることの意味を見出すことができなかったのだ。
あまりにも「形式的な挨拶」だと思った。
ちなみに、冒頭に紹介したのはスムーズな挨拶の例だ。
実際は、こういう場面が多かった。
「姿勢を正してください」
「A君、本を読むのをやめてください」
「Bさん、前を向いてください」
「これから3時間目の国…ちょっとC君、ちゃんと前を向いてください」
「A君、お話をしないでください」
「もう一度姿勢を正してください」
「これから3時間目の国語のお勉強を始めます」
「よろしくお願いします」
こんな感じだ。
さらに、こういうことが続くと教師のお説教が付け足される。笑
授業の始めの挨拶をするだけで、1分も2分も時間を費やすことになる。
こういうこともあって、当時は何のために「挨拶」をするのかが分からなかった。
(今、思えば、私の指導力の問題も…まぁ、それは置いておこう)
では意味を見出せないのに、なぜ「挨拶」をしていたのか。
それは、自分が子どもの頃にそういう経験をしてきたから。
そして、教師になって、周りの先生たちも同じように「挨拶」をしていたから。
何の疑いもなく、授業開始の「挨拶」をさせていた。
挨拶をしなくなってからは、授業開始数秒でいかに子どもたちを惹きつけられるかにこだわった。
例えば国語の時間。
授業開始のチャイムとともに、子どもたちを巻き込む活動をさせた。
「起立!詩の暗誦!」
この合図で、一気に詩を暗誦し始める。
チャイムがまだ鳴っている中、子どもたちも負けじと元気な声を出す。
一気に、授業モードに突入する。
時には、辞書引き競争から始めることもあった。
taka-ichi-sensei.hatenablog.com
「辞書引き競争。『達人』から。はじめ!」
全員が一気に辞書を引き始める。
授業開始数秒で、集中する。
このように、学習する雰囲気、姿勢を一気に作り上げることを目指していた。
誤解のないように言っておくが、私は「挨拶」がダメだと考えているわけではない。
実は、今年度から再び、授業の「挨拶」をしている。
それは、「挨拶」することの意味を見出せたから。
ただ何も考えずに「形式的な挨拶」をしていた時とは違う。
朝、子どもたちが登校してから下校するまでの時間は、すべてが教育活動である。
この言葉を最近になって、強く意識している。
自戒の念を込めて。
だからこそ、授業の「挨拶」も立派な教育活動の1つなのだ。
「挨拶」を通して、子どもにどういう力を身につけさせたいのか、どういう姿に育てたいのかを教師がきちんともつことだ。
その考えは、教師によってそれぞれでいいと思う。
きちんと、「挨拶」することの意味が見出せればいいのだ。
私が教師になった頃、周りの先輩先生方は「挨拶」をきちんとさせていた。
しかし、私はその「挨拶」をきちんとさせることができなかった。
指導力の差もあっただろうが、一番の要因は「何のために」させていたのかを自身がもっていなかったからだったのだ。
ちなみに、今でも「挨拶」なしでいきなり授業に突入することもある。
しかし、それはきちんと指導の意図があってこそ。
最近になって、こういうことがやっと少しずつ分かってきた。
これからも学び続けよう。