私は、現在、東京都のとある市に住んでいる。
出身は茨城県だ。
大学進学とともに上京してきた。
“都会”への憧れというものも結構あった。
しかし上京して以来、ずっと市部に住んでいる。
23区には出かけることはあるものの、なにせ茨城のさらに田舎の出身なものだから、
ちょっと住むには抵抗があるのだ。
そんな私も、今、東京に一軒家を構えている。
今、住んでいるところが大好きだ。
この地が好きな理由はいくつかあるが、そのうちの1つを紹介する。
それは最寄りのバス停だ。
家から徒歩1分圏内のところにバス停がある。
ここから出ているバスは、行き先がJRの中央線の某駅なのだ。
あまり、このバスに乗る機会はないので、時刻表なんかもまじまじと見たことはなかったのだが、
先日、ちょっと興味本位でバス停の時刻表をのぞいてみた。
すると…
22時台でもバスが出ているではないか!!!!
これ、私にとっては感激だった。
22時台にもバスが出ているような場所に住んでいるのだ。
茨城に住んでいたときなんかは、バスなんて1日に4〜5本しか出ていなかった。
もちろん、日が沈んでからバスが通っていることなんてありえなかった。
22時台にバスが出ているということは、少なくとも需要があるのだろう。
“都会”志向が強かった私にとって、これは大変嬉しいことであった。
22時を過ぎても、家の前をバスが通っている。
なんてワクワクするのだろうか。
このことを知ってからは、さらにこの地が好きになったものだ。
人が何かを好きになることに、決まった理由なんてない。
その人なりの価値観みたいなものがあって、
その人にしか理解できないような感覚があって、
けど、それで全然構わなくって。
今、私のクラスには、40人弱の子供達がいる。
この子たちには、自分たちのクラスを「好き」って思っていてほしい。
その理由なんて、なんでもいい。
授業が楽しいから。
友達がいるから。
雰囲気が明るいから。
先生が好きだから。
それ以外にも、思いもつかない理由であってもいい。
だから、「これが絶対」なんて枠に当てはめる必要なんて、全くない。
そんなことを思ったのだ。