最笑はGOOD!〜全力で前に突き進む〜

小学校教師であり、二児の父でもあります。日々のちょっとしたことを気ままに書いていきます。「最」高の「笑」顔を目指して!最笑はGOOD!(さいしょはグー)

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【読書】「子どもが伸びる102の授業術」その4

こちらの本を読み、学びをアウトプット。

 

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

 

 

『朝の笑顔と「おはよう」の声の調子がクラスのムードを決める』

 

教師が笑顔を見せると、きまって子どもの何人かは笑顔を返してくる。それがあるから、教師はつい気軽に子どもに声をかけたくなるものなのである。それと反対に、表情を変えない子どもや顔色の悪い子どもも、笑っている子どもと対比して教師の視界におさまってくる。「子どもは教師の鏡」といえよう。

 

笑顔は大切だ。

 

教師修行として、鏡の前で笑顔の練習をするという話を聞いたこともある。

 

それも自然と笑顔ができるように、かつ何種類もの笑顔ができるように。

 

「そんなの不自然だ。作り笑いなんか、意味がない」

 

そういう考えもあるかもしれないが、それでも笑顔の効果は大きいと思う。

 

自分に当てはめて考えれば、分かりやすい。

 

朝、職場で校長先生が笑顔で「おはようございます」と職員に挨拶をする場合。

 

朝、職場で校長先生がしかめ面で「おはようございます」と職員に挨拶をする場合。

 

こちらに与える影響は大きくはないだろうか?

 

後者の場合、私だったら「今日は機嫌が悪いのかな」とか「ちょっと声をかけるのは後にしよう」とかいろいろと気遣いしてしまう。

 

「それは、その人に性格によるものだろう」との一言では片付けられまい。

 

大人の社会であれば、どうにでもなる(?)が…

 

これが教室であれば、大変窮屈な思いをする子どもがいてもおかしくない。

 

登校拒否の原因についてはさまざまなものがあり複雑である。しかし、ある二年生の子どもの例であるが「先生がひとことも声をかけてくれない」ことが登校拒否の原因の一つであった。

 

これは極端な例かもしれないが…

 

けれども、今の時代、こういう子がいてもおかしくない。

 

教室における教師の存在とは大きいものだ。

 

 

 

 

4月。

 

子どもたちとの出会いの瞬間。

 

とびきりの笑顔で出会いたい。

 

 

【読書】「子どもが伸びる102の授業術」その3

こちらの本を読み、学びをアウトプット。

 

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

 

 

『日記に入れる赤ペンはねらいをもってまとをしぼる』

 

著書の中で、とある日記が紹介されている。

 

一年生の男の子が書いた日記である。

 

七月二十七日のことでした。ぼくわ、となりのおばちゃんとプールに行きました。ふかいプールわ、ちょっとしか足をつけられませんでした。しばらくするとそらがくらくなって雨がふってきました。おかあさんわ、プールからあがってぼくだけおよいでいました。おかあさんがかえるよといったから、バスでかえりました。いえにかえって友だちとあそびました。今日わ、とてもいい日でした。

 

これを読んで…

 

もし“指導”を入れるとしたら、どのような点に気づくだろうか。

 

一つや二つは思い浮かぶと思う。

 

教師はこれらの気になることを、一度に、しかも幅広く直してしまいたい衝動にかられてしまうものである。ところが、子どもにとってみてはどうであろうか。いろいろ書かれたことに対して、ただうっとうしくなるだけで、何も得るものがなくなってしまうにちがいない。

 

著者のこの考え方に、私も同感である。

 

先の日記に、たくさんの赤ペンが入り…

 

しかもその全てが“指導”の赤ペンであれば、嫌になる。

 

私であれば、この日記の書かれた状況によって赤ペンの種類が変わると思う。

 

  • どこで書かれたものか。学校か、家での宿題か。
  • いつ書かれたものか。1学期か、2学期か、3学期か。
  • 書いた子はどのような子か。普段からよく書く子か、書かない子か。

 

仮に、これが「1学期当初の宿題」であれば…

 

まずは「文章を書いた」という事実を褒めたい。

 

しかも、それを「家庭学習」としてである。

 

学習習慣の定着にも大切な時期なので、「家で文章を書いてきた」ということだけでいい。

 

多少の誤字には目をつむる。

 

指導のチャンスは、他にも必ずある。

 

この子は、宿題をやってきた。

 

そして、一定量の文章を書いてきた。

 

それを褒める。

 

ただ、超間接的な“指導”を入れることはある。 

 

実際によく使う手法だが…

 

「私、この日記を読んで、今すぐプールに入りたくなりました」

 

などと赤ペンを入れる。

 

別にあからさまに「は」を大きく書いたりはしないが…笑

 

これに気づかない場合もあるだろうし、そもそも「は」の使い方を知らないかもしれないし。

 

別にいい。

 

指導のチャンスは、他の場面で。

 

このように、この日記を書いた状況で、赤ペンを入れるねらいは変わってくると思う。

 

「は」の使い方を授業で教えたその日に書いてきた日記であれば、その点のみ訂正を加えるかもしれない。

 

ただ、基本は褒めの赤ペンを入れたい。

 

その子が先生の赤ペンを見て、にっこりしている表情が好きだ。

 

宿題に入れる赤ペンって、教師とその子だけの、いわば交換日記みたいなものだと思っている。

 

どんなねらいをもって赤ペンを入れるか…

 

とても大切な観点だと思う。

 

 

 

 

【読書】「学級ワンダーランド計画」

今日の昼間、ポストにこの本が入っていた…!

 

学級ワンダーランド計画―「古川流」戦略的学級経営

学級ワンダーランド計画―「古川流」戦略的学級経営

 

 

そうだ、Amazonで注文していたんだった。笑

 

最近、毎日のように本が届くので、何を購入したかよく覚えていない。

 

夜になって、一気に読み終える。

 

いいね。

 

関連本をさらに1冊注文してしまった。

 

「戦略なくして学級経営は成立しない」

 

まさにそうだよなぁ。

 

今、まずは学級開きに向けて“戦略”を練っている。

 

「戦略を練る」

 

いいね、この響き。笑

 

気に入った。

 

各教科の授業についても、いろいろと案が浮かぶ。

 

とにかく、この4月中にシステムを確立したい。

 

「全ての子どもがワクワクしながら登校する」

 

素晴らしい言葉だね。

 

ワクワクの止まない学級にしたい。

 

 

 

【読書】「子どもが伸びる102の授業術」その2

こちらの本を読み、学びをアウトプット。

 

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

 

 

『人の顔はまず鼻からかかせれば絵が大きく広がっていく』

 

実は、私は「図工」を教えたことがこれまでに一回しかない。

 

その他の年は、図工は専科授業であった。

 

加えて言うと…

 

その一年間の図工の指導も、本当にひどいものであった。

 

教員になってから二年目の時だ。

 

絵画指導というものには程遠く …

 

あまり思い出したくはない。笑

 

ということもあり、あまり図工の分野には詳しくない。(恥ずかしい…)

 

こんなんだから、まだまだ“プロ教師”なんて言えないな。

 

 

 

 

ここで一つ、考えてもらいたい。

 

これから人の顔を描くとする。

 

その際、あなただったら、顔のどの部分から描き始めるだろうか。

 

A:顔全体の輪郭

B:頭の形

C:頬

D:耳

E:鼻

F:口

G:その他

 

この著者で紹介されているのは、とある二年生40人の実態。

 

結果は次の通りだ。

 

A:顔全体の輪郭 23人

B:頭の形  8人

C:頬    9人

D:耳    0人

E:鼻    0人

F:口    0人

G:その他  0人

 

結果から分かるように、この二年生の子たちは、半数以上が「部分」よりも「全体」から描き始めたということだ。

 

そして、顔全体の輪郭から描き始めた子の多くが、とても小さい顔の絵を描いていたという報告がある。

 

ここで著者は、この原因は指導者側の問題だと述べている。

 

机にひじをついて絵をかかせていないだろうか。絵は手先でかくものではなく、腕全体を動かしてかくものである。いすに座ってかかせるのではなく、机の前に立たせて顔をかかせてみよう。机の大きさや高さが気になるのなら、床の上でかかせてみよう。ぐんと大きな顔がかけてくるはずである。

 

これは、細かい技術というよりも、心構えのような気がする。

 

けれども、納得。

 

体全体を使ってかかせるのであれば、座っているよりも立っていた方がダイナミックになる。(と思う)

 

この話を聞いて、体育の表現運動を思い出した。

 

体育の表現運動では、(一般的なのかは別として)紅白帽や靴下は着用しない。

 

その理由は、足の爪先から髪の毛の先までもつかって表現させたいから。

 

一見すると、形から入っているようだが、これは心構えだろう。

 

とっても納得。

 

 

 

ちなみに著者は、上記の指導を行った上でも改善が見られなければ、そこで初めて顔の輪郭線を取り除く指導をすればよいと述べている。

 

それが、「鼻」からかかせる指導なのだろう。

 

私自身が実践したことがないので何とも言えないのだが、いつか機会があればこういう指導をしてみようと思う。

 

この指導法って、今で言う「酒井式」なんだと思う。

 

それにしても、実践したことがないというのは、本当に情けないな。

 

機会がなかなかないのも一つの理由だが…

 

小学校教師は全科を指導できなくてはならない。

 

学ばないとなぁ…。

 

 

 

 

【読書】「子どもが伸びる102の授業術」その1

こちらの本を読み、学びをアウトプット。

 

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

 

 

 『1.1mの高さで語りかければ子どもの心はひらく』

 

この1.1mというのは、新入生が初めて小学校の門をくぐるときの平均的な目の高さのようだ。

 

ちなみに、この本が書かれたのは、今から30年以上も前。

 

その頃に比べると、この“平均身長”というものに変化があるかもしれないが、大した差ではないだろう。

 

この1.1mの目線になって周りを見てみる。

 

そうすると、子どもたちが見ている世界の一部が見えてくるのだろう。

 

著者はこんなことを書いている。

 

大人に押しつぶされそうになりながら、空だけ見てわたる横断歩道の恐ろしさ、また大人に周囲をびっしり取り囲まれたときのエレベーターの中の圧迫感ー(中略)だいたい、この世の中のすべてのつくりが、いかに大人中心にできあがっていることか、

 

あぁ、こういう視点はなかった。

 

私は、身長が180cm以上ある。

 

四捨五入したら190cmだ。

 

10人中8〜9人は、私を見たときに「デカイ!」と思うだろう。

 

実際に言われることもよくある。

 

子どもたちからしてみたら、とんでもない巨人だ。

 

威圧感が半端ないと思う。

 

そして自分で言うのもなんだが…結構強面だと自覚している。

 

だから初めて担任した子どもたちの多くは、私に「なんだか怖そう」という印象をもつ。

 

 

 

 

そんな私が、初任の頃から意識していることがある。

 

それは、しゃがんで話すこと。

 

そうすることで、初めて子どもと目線が合う。

 

「目線を合わせる」ということを意識して、しゃがんでいたのだが…

 

最近は、それだけでなく「無駄に威圧感を与えない」ということも意識している。

 

この「無駄に」というのがポイントで…

 

指導で必要だと感じたときは、この体格を生かしまくる。笑

 

実際に、威圧する。笑

 

まぁ、そういうことは滅多にないけれども。

 

そしてもう一つ。

 

なるべく「笑顔」を心がけている。

 

これも、やはり私のイメージが先行してしまうから。

 

これで仏頂面だったら、誰も近寄らないだろう。笑

 

この体格だからこそ、笑顔を意識し始めたのだ。

 

 

 

 

もちろん、まだまだ修行中なので、笑顔じゃないときもたくさんある。

 

けれども、新年度の出会いの時期は、いつもの1.5倍はスマイルだろうなぁ。

 

そこは意識しなければ。

 

子どもと話をするとき、身をかがめて、子どもと目の高さを合わせる。たったこれだけの教師の心づかいで、子どもは教師に心をひらき、自由に話しかけてくれるのである。

 

結局は、教師の心づかいなんだな。

 

新年度、子どもたちの目の高さに合わせて話をしよう。

 

「先生、首が疲れます」と言われたら、私の負けだ。笑