最笑はGOOD!〜ちょっとBigな教師のブログ〜

小学校教師であり、二児の父でもあります。日々のちょっとしたこと、気ままに書いていきます。「最」高の「笑」顔を目指して!最笑はGOOD!(さいしょはグー)

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『アクティブ・ラーニング時代の教師像』を読んだ。〜その1〜

先日、この本を読み終えた。

 

 

あまりにも“共感”、“感動”の連続だったので、すぐさま再読してしまった。

 

本を読んでこんなに興奮するなんて、あまりない経験…。

 

 

 

 

 

せっかくの機会なので、著書から学んだことを二回にわたって、自分なりにまとめてみようと思う。

 

魁と殿とは?

 

この著書の冒頭に「魁(さきがけ)」「殿(しんがり)」という言葉が出てくる。

 

この言葉、非常に興味深い。

 

まずは、この言葉の定義から始めたい。

 

著書を参考にして、キーワードを拾い集めて、次のような表にまとめてみた。

 

     魁(さきがけ)

   殿(しんがり)

・リーダーシップ重視

 教師が先頭

 教師の自己実現を目指す

 どんどん指導を入れていく

 

・登山のパーティーでの先頭「二番手」

・問題が起きると「どうすればいいか」と

 方法を考えて動く

・「パワー系」のイメージ

 ノリがいい、やんちゃ、積極的

 バリバリ部活動の経験

 男性が多いイメージ

フォロワーシップ重視

 教師は後方

 母性的

 子どもが学びを得られる環境を設定

 教師自らが、あるべき姿を示す

・登山のパーティーでの最後尾「一番手」

・問題が起きると、その子本位の考え方で

 動く

・「きちん系」のイメージ

 思いやり、迷惑かけず、システマチック

 コツコツ勉強してきた

 女性が多いイメージ

 

ざっくりとまとめると、こんな感じだろうか。

 

ただし、教員を上記の2つに“きっちりと”分類することはできないし、完全に型にはめていく必要もない。

 

ただ、自分が「どちらの傾向にあるか」というのは感じるところがあるのではないだろうか。

 

そういう視点で見れば、私は、完全に「魁」タイプだ。

 

また、この2つのタイプはさらに違った言葉でも表現されている。

 

規律訓練型権力環境管理型権力だ。

 

「魁」タイプが「規律訓練型権力」であり、「殿」が「環境管理型権力」である。

 

簡単にいえば、「規律訓練型権力」というのは、一人の教師が子どもたちをコントロールするイメージ。

 

それに対して「環境管理方権力」というのは、複数の教師が子どもたちの環境となってベクトルを示していくというイメージだ。

 

最近よく耳にする「ファシリテーション」「協働学習」「学び合い」といったものは、後者にあたる。

 

これを知れば知るほど、やはり私は「魁」タイプであり、「規律訓練型権力」の傾向が強い教師と言える。

 

 

魁と殿はどっちがいい?

 

ここで疑問が出てくる。

 

この「魁」と「殿」とは、果たしてどちらがいいのか。

 

著書の中では、あえてどちらに優劣をつけるわけでもなく、極論をいえば、「どちらの要素も大切」という印象を、私は受けた。

 

ただし、“これからの時代”においては、「殿」タイプが重要であるということも書かれていた…

 

しかし、だからと言って「殿」タイプを最初から目指すことにも問題がある。

 

「魁」タイプの教師は、バリバリの指導力をもつイメージ。

 

教育(授業)の“定石”を身につけているというイメージだ。

 

これを聞いて、私がまず思い浮かんだのは「法則化」、今でいう「TOSS」だ。

 

指導技術をガンガン学んで、追試し、子どもたちを“動かして”いく。

 

こういう技術は、非常に大切だと私は思う。

 

そして、著書でいわれていたのは、「魁」を経験した後に「殿」へと移行するのが最も理想だということ。

 

こういう“定石”をきちんと身につけた上で、「殿」的な指導をしていったほうがいい。

 

しかしながら、今の時代の主流は「殿」的な指導だ。

 

ファシリテーション」「協働学習」と言った言葉が教育界では多くあふれている。

 

先のような教育の“定石”や“技術”を身につけずして、いきなりそこに飛び込む教師が多いのも事実ではないだろうか。

 

例えば、『学び合い』という“言葉”だけに飛びついて、その本質を知らないまま「形」だけを真似する。

 

そうなってしまうと、これらの「殿」的な教育が、一人一人の教員の指導力向上を待っていられない故の教育となってしまう。

 

易きに流れる

 

そうであってはならないと思う。

(が著書では、この事実を述べた上で、それも“現実的ではない”と言っている)

 

志ある教師ならば、それらの教育の“本質”をきちんと理解した上で実践をし、さらに一斉指導の“技術”も身につけていくべきであろう。

 

 

 

 

 

 

続きは、次回。

 

基本的に、この本は堀先生と金先生の往復書簡という形で書かれている。

 

私は金先生の言葉に共感しまくり、堀先生の言葉に感動しまくる。

 

だから、あまりにも感情が動かされているので、客観的にまとめられていないかもしれない。