【暗唱】はきものを揃える
はきものをそろえると 心もそろう
心がそろうと はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと 世界中の人の心も そろうでしょう
一度は聞いたことがある方もいるのではないでしょうか。
私は、この詩を毎年クラスで暗唱しています。
暗唱する教材としては、長さも適しているのです。
そして、この詩の暗唱とともに「靴を揃えること」の価値を子どもたちに伝えています。
「価値」と言いましたが、そもそもは家庭でのしつけでしょうか。
私も幼い頃は「靴を揃えなさい」と親から言われたことがあるし、今も2歳の息子には「靴、きれいきれい」と言って一緒に揃えるようにしています。
冒頭の詩に戻ります。
はきものをそろえると 心もそろう
心がそろうと はきものもそろう
とってもいいことを言っていますよね。
心に響く詩です。
けれども。
なぜ、はきものを揃えると、心が揃うのか?
ちょっと考えちゃいました。
はきものを揃えるということ
私たちが生活する中で、はきものを揃えるという場面はいくつかあります。
まずは、玄関。
日本人ですから、玄関で靴を脱ぎますよね。
その靴を揃える。
玄関の状態って、家の状態を表しているような気がします。
毎日、必ず目にする場所ですからね。
人目を気にするとすれば、やはり玄関の靴は揃えますよね。
次に、トイレ。
これは家のトイレに限らず、公衆のトイレもです。
今はあまりないかもしれませんが、トイレ用のスリッパがあるところ。
そこでスリッパを揃えるということは、「次の人のため」でもあるわけです。
上下逆、またはバラバラになっていたら履きにくいですよね。
「相手意識」をもつことも大切なのだと思います。
そして、学校などの昇降口。
要するに、上履きと下履きを履き替える必要のあるところです。
こういったところは、たくさんの靴が並んでいますから、靴が綺麗に揃っていると「心もそろっている」という意味合いもなんとなく理解できる気はします。
このように、はきものを揃えるべき場面というのはいくつかありますね。
共通すること
これらの場面で共通すること。
それって、結局は「自分の気持ちをいかに整えられるか」ということだと思うのです。
玄関で靴を脱いで、靴を揃える場合。
一度、後ろを振り向かなければなりませんよね。
玄関の高さにもよりますが、腰を下ろして、靴を揃える。
だいぶ手間があります。
トイレのスリッパも同様。
用を足したら、そのままササッとトイレから出てしまえれば楽ですよね。
けど、一度立ち止まって振り返り、腰を下ろしてスリッパを揃える。
正直、面倒な気持ちがありませんか?
学校の昇降口。
休み時間に外で思い切り遊んだ後。
靴を脱いで、投げ入れるように下駄箱へ入れて、上履きに履き替える。
何も指導しなければ、大半の子どもたちにとって、これが自然な姿でしょう。
だって、そこで立ち止まって靴を揃えるには、「先に進みたい」自分の気持ちにちょっとブレーキをかけないといけませんから。
いかに自分の気持ちを整えられるか。
これが大切なのではないでしょうか。
心がそろうということ
クラスの子どもたちが、自分の靴を揃えることができる。
それって、言い換えれば、クラスにいる一人一人の子が、自分の気持ちを整えられるってことなのかなぁ。
そういうクラスって、みんなが同じベクトルに向かっている気がします。
「心がそろう」っていうのも、よく分かる気がします。
ぬぐときにそろえておくと はくときに心がみだれない
うんうん、それなら納得する。
最近のこと
我がクラスでは、はきものを揃えるブームがきています。
ブームっていうのもおかしいですが、その価値をきちんと伝えています。
先日、ある男の子が自分の靴でなく、友達の靴を揃えていました。
だれかがみだしておいたら だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと 世界中の人の心も そろうでしょう
私だって、靴を雑に脱ぎ捨てること、あります。
子どもだって、時にはありますよね。
そういうとき、しつこく「揃えなさい」と指導するのではなく、この男の子のように黙って何も言わずに揃えてあげればいいんだな、と改めて学びました。
そうすればきっと 世界中の人の心も そろう日が来るかもしれませんね。