【研究授業参観】学びは明日に生かす
今日は校内で研究授業があった。
今年度、最後の授業。
その研究授業と協議会を通して、色々と考え、思考を巡らした。
訳あって発言は控えたが、思いは色々と出てきて…
とりあえず、ノートに書き連ねた。
今、数えてみたら13ページ。笑
これほどの量を書き込んでいた。
「今後の自分にも活かせる」という観点から、いくつかピックアップしてアウトプットをする。
①発問の数
協議会において、発問の数について話が挙がった。
「この発問はいらないのではないか」
「どれを削るべきか」
どうやら、発問の数は「3つ」と決まっているらしい…
そういう「型」があるそうだ。
この発問の「数」を巡って話し合いが進む。
でもさ…
数よりも、大事なのは発問の「質」じゃないの?
3つだろうが、4つだろうが「形式ばった」発問では、何の意味もない。
プロは、発問1つで45分の授業を成立させる。
教科は違くても、本質は一緒でしょう。
もっと、発問の「質」について話し合いたい。
研究授業だからこそ、一言一句にこだわった発問でもいいと思うのだが…
②発達段階
「低学年だからできない」
「発達段階的に厳しい」
これらの言葉を否定する気はない。
けれども、その観点だけで見てしまうのもどうだろうか。
「低学年だから、仕方ない」
これで片付けてしまうのは簡単だ。
立派な“口実”になる。
じゃあ「高学年」ならできるのか?
もちろん、そういう場合は多々ある。
けど、そうでもないことだってある。
「低学年だから…」と限定的に見てしまうと、それ以上の成長は見られない。
教師が限界値を決めてしまっては、子どもは伸びない。
学年は関係ない。
子どもの力次第だろう。
③板書
授業中、板書をすることがある。
その時、どんなことに気をつけるだろうか。
授業者の腕前にもよるとは思うが…
“基本的”には、子どもに背中を向けるべきではないと思う。
もちろん時と場合にもよる。
上手い人は上手い。
背中で“見る”ことができる。
けど、多くはそうではない。
子どもたちに背中を向けた数秒の間、空白の時間ができる。
ここから「荒れ」が始まることだってある。
また、指名→板書→指名→板書では、流れが一回一回途切れる。
リズムが崩れるのだ。
繰り返し言うが、力のある方は別である。
たとえ背中を向けようとも、子どもが“学ぶ姿勢”を崩さない。
発言をしていたり、何かの作業をしていたり…
けれども基本は「四分六の構え」であろう。
若手に示すのであれば、意識してでもそうする。
本当にたくさんの学びを得た。
何よりも、授業者の方、その学年の方々は毎日遅くまで授業を検討していた。
だからこその今日の授業。
ここまでの準備と努力がなければ、こういう学びは得られない。
本気の授業だからこそ、本気で学べる。
お疲れ様でした。
今日の学びを、明日からの授業に活かしていこう。