【読書】『アクティブ・ラーニング時代の教師像』〜2〜
前回の続き。
taka-ichi-sensei.hatenablog.com
「魁」教師の危険性
しかしながら、この「魁」教師にも非常に危ない問題が潜んでいる。
そもそも「魁」要素が非常に強い教師、または「魁」100%の教師であり、且つ、非常に学級経営がうまくいっている場合では、次のような教師の特徴が見られる。
- 力量が高い
- 子どもを惹きつける力がある
- クラスを統率できる力がある
- その学校で“エース”的立場を担う
- 高学年、または荒れた学級をもつことが多い
こういった教師には次の3つの危険性が見られることがある。
- その担任との間にしか機能しないことが多く生まれる。担任の価値観が絶対となる。
- ロボットのような人間を生む。子どもをコントロールするがために、子どもの自立する機会を奪っている。
- 子ども同士が正常な仲間とのつながりを作れない。教師の“力量”“手腕”で人間関係をもうまく成立させてしまう。
こういう「魁」教師のクラスのもとでは、“ほとんど”の子どもが生き生きと活躍する場をもって毎日を過ごしている。
そして“ほとんど”の子どもの意欲は高く、非常に充実した生活を送っている。
「このクラスの担任が、先生で本当によかった」と多くの保護者や子どもが本気で思う。
しかし…こういった「ノリ」についていけない子どももいるかもしれないということを忘れてはならない。
このことについて、「なるほど」と思う記事を先日見かけた。
ここで言われる「内向型」というのが、つまりは「ノリ」についていけない子なのかもしれない…。
この視点を忘れてはならない。
決して見失ってはいけない。
「魁」教師として、うまくいっている実感があればあるほど…
見えなくなってくる。
こういう「魁」教師は、学校のエース的立場であることが多い。
つまりは、学校内でも一定以上の「評価」を受けている。
そうなると、自分の“教育”に疑問を持たなくなる。
自分が良かれと思って行っている教育に…ほんの一握りの、ごく少数の子どもがついてこられない状況が起きているかもしれない。
それは、クラスを担任している時には気づかないかもしれない。
また、そういった教師が創り上げる学級は、“子どもたちにとっての学級”ではなく、“学級担任である私の学級”となっている可能性がある。
“学級”という閉じられた空間でしか生きていく術を与えてないのではないだろうか。
エース的立場を担う「魁」教師は、自分の指導を疑わない。
自分が得た指導技術でうまく学級を経営していく。
面白いほどにうまくいく。
そうなると、指導が「子ども不在」になることもある。
「魁」教師は、より「魁」要素の強い教師へとなっていく。
非常に学びのある本に出会えた。
この夏の一番のヒット本。
自分の教育の在り方を見つめ直さずにはいられなくなる。
アクティブ・ラーニング時代の教師像: 「さきがけ」と「しんがり」の教育論 (教育単行本)
- 作者: 堀裕嗣,金大竜
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/03/25
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
【読書】『アクティブ・ラーニング時代の教師像』〜1〜
先日、この本を読み終えた。
アクティブ・ラーニング時代の教師像: 「さきがけ」と「しんがり」の教育論 (教育単行本)
- 作者: 堀裕嗣,金大竜
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/03/25
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
あまりにも“共感”、“感動”の連続だったので、すぐさま再読してしまった。
本を読んでこんなに興奮するなんて、あまりない経験…。
「自分は特別で、他とは違うんだという気持ち」
— イチタカ@小学校教師(夏休み×習慣化) (@GIANTTAKA) 2017年8月17日
「自分が周りより一段上に立っているように感じ、周りを比較見ている」
(引用したものだが)言葉にすると、グサッとくるが…
なんだかスッとする。#読書
OS理論…ゾクゾクした。
— イチタカ@小学校教師(夏休み×習慣化) (@GIANTTAKA) 2017年8月17日
この本、読了したら、読み返そう。そして、まとめてみよう。「往復書簡」という形だけれども、学びがありすぎる。共感しまくりだ。
“きれいに授業を流すことばかり気にしており、子どもの力を育むことより、自分がよく見られることを意識していた”
— イチタカ@小学校教師(夏休み×習慣化) (@GIANTTAKA) 2017年8月18日
なんだ…どうして、こんなにも響くんだ。響まくる。自分のことを省みずにはいられない。#読書
読了。久しぶりに読んでいて何度も立ち止まってしまった。#読書 #アクティブ・ラーニング時代の教師像
— イチタカ@小学校教師(夏休み×習慣化) (@GIANTTAKA) 2017年8月18日
せっかくの機会なので、著書から学んだことを二回にわたって、自分なりにまとめてみようと思う。
魁と殿とは?
この著書の冒頭に「魁(さきがけ)」と「殿(しんがり)」という言葉が出てくる。
この言葉、非常に興味深い。
まずは、この言葉の定義から始めたい。
著書を参考にして、キーワードを拾い集めて、次のような表にまとめてみた。
魁(さきがけ) |
殿(しんがり) |
・リーダーシップ重視 教師が先頭 教師の自己実現を目指す どんどん指導を入れていく
・登山のパーティーでの先頭「二番手」 ・問題が起きると「どうすればいいか」と 方法を考えて動く ・「パワー系」のイメージ ノリがいい、やんちゃ、積極的 バリバリ部活動の経験 男性が多いイメージ |
・フォロワーシップ重視 教師は後方 母性的 子どもが学びを得られる環境を設定 教師自らが、あるべき姿を示す ・登山のパーティーでの最後尾「一番手」 ・問題が起きると、その子本位の考え方で 動く ・「きちん系」のイメージ 思いやり、迷惑かけず、システマチック コツコツ勉強してきた 女性が多いイメージ |
ざっくりとまとめると、こんな感じだろうか。
ただし、教員を上記の2つに“きっちりと”分類することはできないし、完全に型にはめていく必要もない。
ただ、自分が「どちらの傾向にあるか」というのは感じるところがあるのではないだろうか。
そういう視点で見れば、私は、完全に「魁」タイプだ。
また、この2つのタイプはさらに違った言葉でも表現されている。
「魁」タイプが「規律訓練型権力」であり、「殿」が「環境管理型権力」である。
簡単にいえば、「規律訓練型権力」というのは、一人の教師が子どもたちをコントロールするイメージ。
それに対して「環境管理方権力」というのは、複数の教師が子どもたちの環境となってベクトルを示していくというイメージだ。
最近よく耳にする「ファシリテーション」「協働学習」「学び合い」といったものは、後者にあたる。
これを知れば知るほど、やはり私は「魁」タイプであり、「規律訓練型権力」の傾向が強い教師と言える。
魁と殿はどっちがいい?
ここで疑問が出てくる。
この「魁」と「殿」とは、果たしてどちらがいいのか。
著書の中では、あえてどちらに優劣をつけるわけでもなく、極論をいえば、「どちらの要素も大切」という印象を、私は受けた。
ただし、“これからの時代”においては、「殿」タイプが重要であるということも書かれていた…
しかし、だからと言って「殿」タイプを最初から目指すことにも問題がある。
「魁」タイプの教師は、バリバリの指導力をもつイメージ。
教育(授業)の“定石”を身につけているというイメージだ。
これを聞いて、私がまず思い浮かんだのは「法則化」、今でいう「TOSS」だ。
指導技術をガンガン学んで、追試し、子どもたちを“動かして”いく。
こういう技術は、非常に大切だと私は思う。
そして、著書でいわれていたのは、「魁」を経験した後に「殿」へと移行するのが最も理想だということ。
こういう“定石”をきちんと身につけた上で、「殿」的な指導をしていったほうがいい。
しかしながら、今の時代の主流は「殿」的な指導だ。
「ファシリテーション」「協働学習」と言った言葉が教育界では多くあふれている。
先のような教育の“定石”や“技術”を身につけずして、いきなりそこに飛び込む教師が多いのも事実ではないだろうか。
例えば、『学び合い』という“言葉”だけに飛びついて、その本質を知らないまま「形」だけを真似する。
そうなってしまうと、これらの「殿」的な教育が、一人一人の教員の指導力向上を待っていられない故の教育となってしまう。
易きに流れる…
そうであってはならないと思う。
(が著書では、この事実を述べた上で、それも“現実的ではない”と言っている)
志ある教師ならば、それらの教育の“本質”をきちんと理解した上で実践をし、さらに一斉指導の“技術”も身につけていくべきであろう。
続きは、次回。
基本的に、この本は堀先生と金先生の往復書簡という形で書かれている。
私は金先生の言葉に共感しまくり、堀先生の言葉に感動しまくる。
だから、あまりにも感情が動かされているので、客観的にまとめられていないかもしれない。
【映画】『そして父になる』
昨日、Amazonビデオでこれを見てしまった…
実はこの作品、息子・娘が生まれる前に一度見たことがある。
今回、改めて見ると…
やはり視点が違う。
その点では、父親役の福山雅治やリリーフランキーの“父としての在り方”は非常に考えさせられる。
最近、子どもとの時間の大切さを身にしみて感じている。
taka-ichi-sensei.hatenablog.com
taka-ichi-sensei.hatenablog.com
だからこそ、今回この作品を改めて見たのだと思う。
「楽しい」「面白い」とかそういう作品ではないけれども…
“父親”として、“子ども”とどう関わるか…
“父親”とは何か…
そんなことを考えずにはいられなかった。
【かけがえのない】子どもとの時間、仕事の時間
この休みの期間、息子・娘と過ごす時間が普段以上に多い。
休みだから、当たり前といえば、当たり前なのだが…
そこで、改めて思う。
子どもと過ごせる時間というのは、かけがえのない時間だということ。
taka-ichi-sensei.hatenablog.com
理想をいえば、四六時中一緒に過ごしていたい。
息子・娘は、いつまで経っても子どもであるが…
息子・娘が“子ども”でいるのは、限られている。
日々成長している。
だからこそ、その成長を一緒に感じたい。
仕事とのバランス。
学びをしたいという思いが強いほど、葛藤する。
自分が大切にしているものは、何か?
あと10年…いや、5年もすれば、今の“子ども”の姿とは違う。
“今”は永遠ではない。
だからこそ、“今”を大切にしたい。
けど、言っていることとやっていることにはギャップがある。
仕事とのバランス。
学びとのバランス。
「正解」なんて無いのかもしれない。
だから、真剣に考える。