最笑はGOOD!〜ちょっとBigな教師のブログ〜

小学校教師であり、二児の父でもあります。日々のちょっとしたこと、気ままに書いていきます。「最」高の「笑」顔を目指して!最笑はGOOD!(さいしょはグー)

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「子どもが伸びる102の授業術」その7を読んだ。

こちらの本を読み、学びをアウトプット。

 

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

 

 

『導入で「はてな、おかしいな」と思わせれば子どもは熱中する』

 

 これは、よく分かる。

 

私は教育実習のときに、このようなことを指導教官に教わった。

 

子どもたちの持っている概念をぶち壊すことから授業は始まる…

 

そのようなことをおっしゃっていた気がする。

 

それ以来、この考え方は大切にしている。

 

私の恩師である、中学校の理科の先生もこのような授業を行っていた。

(今は小学校の先生をされている)

 

一見、当たり前に思えることを、全然違った観点から切り込む。

 

「あれっ…?」と思えば、「なんでだろう?」という疑問が浮かび、興味が湧く。

 

いかに子どもたちを惹きつけるか。

 

やはり、授業の導入というものは大切なのだ。

 

 

 

「子どもが伸びる102の授業術」その6を読んだ。

こちらの本を読み、学びをアウトプット。

 

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

 

 

『体を通して考えさせると理解も早く忘れなくなる』

 

 考える、というと「頭」のはたらきが全てと思うかもしれないが…

 

それだけではないだろうという話。

 

体を使うことで、理解や思考が促されることもある。

 

算数の問題を解決するとき、まず直面するのが問題の意味の理解、つまり題意の把握である。問題によっては一読しただけでわかるものもあるが、そうはいかないことも少なくない。このようなとき、問題の場面を再現し、体を通して理解させると効果的である。

 

本書では、「混み具合」の問題場面を実際に体験することで、その状況を理解することができると述べている。

 

確かに、「実際の体験」が伴うと、理解は促進される。

 

また、理解(記憶)の定着にも繋がると私は思う。

 

いわゆるエピソード記憶のようなものだろうか。

 

その時の体験した状況と学習が合わさって、記憶が強固になると思う。

 

また、体の様々な部位を使うことで、脳も活性化するのではないだろうか。

 

例えば、漢字を指書きで練習する場合。

 

①指を使う

②書き順を声に出す

③その声を耳で聞く

④情報を目で見る

 

体のいくつかの部位を同時に使う。

 

これもある意味では「体を通して考えさせる」ことにつながると思う。

 

 

 

悪夢。

今朝、夢を見た。


学級崩壊をする夢。


決して、荒れているのではない。


一見すると、普通の落ち着いた学級に見える。


しかし…


指示が全く通らない。


反応が非常に鈍い。


年に数回、こういった夢を見る。




いよいよ明日、子どもたちと出会う。


準備をしすぎて困ることはない。


「学級崩壊を起こさないために」


この観点だけで準備をしてしまうと、いつの間にか“受け身”の姿勢になってしまうことがある。


気持ちは強く…



けど、「学級崩壊」という最悪のケースを、あえて想定して準備に臨む。


「自分は大丈夫」と過信してはならない。


今、すごく不安な気持ちだ。


けど、それ以上にワクワクしている。


こんな気持ちになれるのは、この時期だからこそ。


期待と不安を、今夜は楽しもう。




「子どもが伸びる102の授業術」その5を読んだ。

こちらの本を読み、学びをアウトプット。

 

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

 

 

『昨日と明日の指導で今日の見学の成果が決まる』

 

社会科見学などで学習をする場合、あらかじめ「視点」を定めておくことは大切である。

 

例えば、3年生の学習で「スーパーマーケット」の見学がある。

 

「スーパーマーケットには、どんな工夫があるかな?」

 

これでは、弱い。

 

そもそも「工夫」とは、どんなものか?

 

漠然とものを見るのでなく、視点を定め、観察の重点を決めて、しっかりと見据える以外に方法はない。社会科や理科などで見学の際に、事前指導が必要不可欠なものとなるのは、このためなのである。

 

「工夫」という言葉だけでは、やはりまだまだ漠然としている。

 

「商品を売るための工夫」「お客さんに来てもらうための工夫」

 

こうなると、少しは視点が定まってくる。

 

事前指導の大切さ。

 

これが身にしみて分かる。

 

 

 

例えば、理科で「自然の観察」の学習。

 

「秋には、どんな自然があるだろう?」

 

このような発問をして校庭へ行くと、どうなるか?

 

これはこれで、個人的には楽しいのだが…笑

 

視点を定めるのであれば…

 

「秋にはどんな色のものがありますか?」

 

赤、オレンジ、黄色…おそらくそのような意見が出るであろう。

 

「本当に、それだけですか?」

 

この発問だけで、もっと探そうとしてくる。

 

大切なのは、事前指導。

 

少し話はそれるが、昨日、この本を読み終えた。

 

学級担任に絶対必要な「フォロー」の技術

学級担任に絶対必要な「フォロー」の技術

 

 

ここで強調されているのは、事前指導よりも、むしろ事後の指導。

 

こちらの大切さを述べている。

 

事前指導と評価。

 

これが一体になることで、教育は成り立つんだなと改めて思った。

 

 

 

『学級担任に絶対必要な「フォロー」の技術』を読んだ。

こちらの本を読了。

 

 

学級担任に絶対必要な「フォロー」の技術

学級担任に絶対必要な「フォロー」の技術

 

 

 

今日は遠足の実踏。
 
その帰りの電車内で読んでいた。
 
学級開きを2日後に控えたこの時期に、のんびりと読書をしている時間はなーい、と思っているが、やはり楽しい。笑
 
とりあえず、学びを3つに絞ってアウトプット。
 
①女子のグループ化は、まずは受け入れる。そのグループを通して成長させていく。
 
②フォローのためには、子どもを見る目が必要。子どもの思いを見極める。
 
③笑ったり驚いたりと、フォローをすることで子どもたちを安心させる。
 
 
よし、頑張ろう。
 
 
 
 

「子どもが伸びる102の授業術」その4を読んだ。

こちらの本を読み、学びをアウトプット。

 

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

子どもが伸びる102の授業術 (東書TMシリーズ)

 

 

『朝の笑顔と「おはよう」の声の調子がクラスのムードを決める』

 

教師が笑顔を見せると、きまって子どもの何人かは笑顔を返してくる。それがあるから、教師はつい気軽に子どもに声をかけたくなるものなのである。それと反対に、表情を変えない子どもや顔色の悪い子どもも、笑っている子どもと対比して教師の視界におさまってくる。「子どもは教師の鏡」といえよう。

 

笑顔は大切だ。

 

教師修行として、鏡の前で笑顔の練習をするという話を聞いたこともある。

 

それも自然と笑顔ができるように、かつ何種類もの笑顔ができるように。

 

「そんなの不自然だ。作り笑いなんか、意味がない」

 

そういう考えもあるかもしれないが、それでも笑顔の効果は大きいと思う。

 

自分に当てはめて考えれば、分かりやすい。

 

朝、職場で校長先生が笑顔で「おはようございます」と職員に挨拶をする場合。

 

朝、職場で校長先生がしかめ面で「おはようございます」と職員に挨拶をする場合。

 

こちらに与える影響は大きくはないだろうか?

 

後者の場合、私だったら「今日は機嫌が悪いのかな」とか「ちょっと声をかけるのは後にしよう」とかいろいろと気遣いしてしまう。

 

「それは、その人に性格によるものだろう」との一言では片付けられまい。

 

大人の社会であれば、どうにでもなる(?)が…

 

これが教室であれば、大変窮屈な思いをする子どもがいてもおかしくない。

 

登校拒否の原因についてはさまざまなものがあり複雑である。しかし、ある二年生の子どもの例であるが「先生がひとことも声をかけてくれない」ことが登校拒否の原因の一つであった。

 

これは極端な例かもしれないが…

 

けれども、今の時代、こういう子がいてもおかしくない。

 

教室における教師の存在とは大きいものだ。

 

 

 

 

4月。

 

子どもたちとの出会いの瞬間。

 

とびきりの笑顔で出会いたい。

 

 

初日に何を話すか。

新年度初日。

 

我が校には、人事により、新しい校長が来た。

 

「今度の校長先生は、どんな人だろう」

 

「ワンマンなのかな?それとも、親しみやすいのかな?」

 

「なんだか怖そうだなぁ」

 

いろいろな思いがある。

 

そして、職員会議で校長から話がある。

 

職員に対しての、“学校長”としての初めての話である。

 

そこには「こんな学校を目指したい」という思いが詰まっているように感じた。

 

そして「みなさんと力を合わせていきたい」といった話もされた。

 

 

 

 

 

私という人間は、懐疑心が強い。

 

校長の話に対しても「それは本音だろうか?」なんてことを一瞬考えてしまう。

 

けれども、それが本音であろうが建前であろうが、今はいい。

 

その時の私には、心地のよい話であった。

 

「よし、頑張ろう」と思える話であった。

 

きっと、他の職員も同じような思いを抱いていたと思う。

 

 

 

 

やはり「黄金の3日間」は大切なのだ。

 

子どもたちと出会った初日。

 

教師が何を話すか。

 

その場で思いつくような言葉ではいけない。

 

練りに練って、言葉を厳選して、子どもたちに話したい。

 

今日、校長の話を聞いていて、子どもたちの思いが少し分かった気がする。

 

出会いの日、大切にしたいものだ。